職人さんへの挨拶(河成鎮次郎)

職人さんが現場で仕事をしていると、建主さんの家族がそろって、やって来ることがあります。

もう大分出来ただろうと楽しみにしながら、見にくるわけです。

大工さんが、一生懸命仕事をしているところへ、ドヤドヤとあがりこんできます。

子供は、あちこち飛び回り、夫婦は夫婦で間取りなどを見るのに夢中、子供のことなど眼中にない様子という具合です。

そのうち、大工さんの愛用しているノコギリを子供が踏みつけてしまいました。

それを見た大工さんは、とうとうここで堪忍袋の緒が切れました。

「どこのどなたか知らねえが、挨拶もなく勝手にあがりこんじゃこまるヨ。仕事の邪魔だ。トットとうせろ」と怒鳴りつけました。

それを聞いたご主人は、「何を言うんだ。無礼な!私はこの家の建主だ。うせうとは何だ」

工事が始まったらとうとう建主さんと大工さんとで、ケンカになってしまいました。

ふて腐れた大工さんは、「こんな仕事やれるか」と言って、サッサと帰ってしまいました。

現場には、何十人という職人さんが出入りします。

その一人一人が、必ずしも、建主である貴方を知らない場合があります。

たとえ、顔見知りであっても、「建主の口◇です。ご苦労様です。よろしくお願いします。すいませんが、ちょっと見せてください」と軽いねぎらいの言葉を添えて、挨拶すれば、職人さんの気分も、どれほどよくなることでしょうか。

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職人さんたちの心境は・・・(河成鎮次郎)

腰を落ち着けて仕事ができない職人たち今、職人はどういう状態にあるのでしょうか。

すべてがインスタントの時代、「じっくり時間をかけて……」なんて、じれったくてとても待てない時代の中で、職人も例外ではありません。

期限が短く切られ、早く早くと急がされています。

早く出来る分には喜ばれますが、遅くなろうものならまわり中から不機嫌な顔をされ、契約違反と騒ぎたてられるご時世です。

職人はまるで馬車馬のようにムチ打たれ、せかせかと走り続けています。

「ここをどうしたらいいか」などと考えている暇さえ与えられないような状態で働いています。

こんな状態では、とてもいい仕事ができるとは考えられません。

サラブレッドなら、それでもまだ美しい勇姿を見せられますが、荷馬のような人も少なくないのです。

それがムチ打たれ、走らされるのですから、ひどい結果になってしまいます。

日本の職人は、軒並みそんな状態ではないかと思います。

高度経済成長期をくぐってきた今、大工は「大三」、トビは「カラス」と呼ばれる時代となってしまいました。

いい仕事に接しないまま育ってきた職人たちが、世の中の圧倒的多数を占めています。

そして、そういう職人を抱えている業者もまた当然、この世の大勢を占めています。

建築家・河成鎮次郎

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設計図に基づく工事(河成鎮次郎)

人間性も技量も、また事務上の処理能力もすべて備わった素朴な体質の業者というのは、本当に皆無に近いといっていいだろうと思います。

図面を見てもチンプンカンプン、ちょっと特殊なことになると現場をまとめる能力を失う工務店主。

さりとて現場監督がいるわけでもないーこうした状況はごく一般的なことであって、決して珍しいことではないのです。

設計図に基づいて工事をやれる職人は、職人の総数からしたら微々たるものです。

施工図をしっかりかける業者もきわめて少ないのです。

ただ、ここで一つだけ付け加えておきたいことがあります。

それは、住宅の工事をして誠実に仕事を遂行している業者は、一般の人が考えているほど利益はないものだということです。

とくに、しっかりした設計者が入った場合は、採算ギリギリでやっているところがほとんどといっていいと思います。

私は、できるだけ経費のかからない素朴な体質をもった職人たちと、直接の関係で住宅づくりを進めたいと願っています。

それが本来の姿だと思うからです。

同時に、このように時代に乗り遅れている小工務店の、コンダクター不在の体質を近代化していくのも、我々の大きな課題であると痛切に感じています。

建築家・河成鎮次郎

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〈河成鎮次郎事務所〉運動

「実際に創る」という活動なくしては、具体的な改革はないわけですから、この創作活動が〈河成鎮次郎事務所〉運動の「中核」となっています。

建築主・施工者・設計者の一つの共感のもとに創作活動は進められていますが、問題が山積する中での運動ですから、理想どおりに行なわれているとは決して言い切れません。

一朝一夕には解決しがたい問題を抱えながら苦心しているというのが実情です。

それでも、完壁に信頼されうる組織が見い出しがたい状況の中で、〈河成鎮次郎事務所〉こそ信頼に足る運動集団だと呼ばれるように、改善を重ねる努力を続けています。

現在、消化しきれないほどの設計予約を受けていますが、あくまでも「百棟より一棟の模範」を心がけ、人材なき拡大はしない方針を貫いています。

つくりたい人々にこたえていかな

ければならないジレンマは私にもありますが、安易に受け皿を広げるよりは、いかに時間がかかろうとも、設計者・賛助会員の養成が先決だと考えています。

〈河成鎮次郎事務所〉運動に賛同し、集まってくる専門家たちも徐々に増えてきています。

そうした人々の再訓練も含めて、着実な足どりでこの運動の輪を広げていきたいと思います。

これまで述べてきたことが十分にその役割と機能を果たす時、〈河成鎮次郎事務所〉は有機的な運動体としてはじめて〈河成鎮次郎事務所〉らしくなっていくだろうと思います。

住宅も、これほどカタログ販売・展示場・モデルハゥスが市民権を得たのかと思うと、ポカンとばかりもしていられないからです。

〈河成鎮次郎事務所〉の家づくりには明確な特徴があります。

それは、ある理念・理想のもとに集まった人間たちの手でつくられるということ、集められた人材によってではなく、共感という共通項をもとに自然に集まった人たちによってつくられる、ということです。

設計者、職人・施工者、ユーザーがこのような形で集まって総合的な家づくりに取り組むというシステムは、おそらくこれまでになかったことではないかと思います。

しかし、こうした形は単に〈河成鎮次郎事務所〉の家づくりの特徴というよりも、これからの家づくりの普遍的な形になっていかなければならないと私は考えています。

それ以外、市場の対象にされてしまった住宅の流れを転換する道は、私には見えてこないのです。

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建築空間(河成鎮次郎)

視覚を超えた建築空間は、二階を貫いて一階から棟木まで真っすぐに伸びる棟持柱です。

刻みの段階で、施工業者から管柱(一階と二階で継いだ柱)ではだめか、との問い合わせがありました。

そのほうが経済的でもあり、構造的にもさして問題が生じるわけではありません。

また、加工も輸送もずっと楽です。

完成した時には、継手が天井裏に隠れて見えなくなりますから、見た目には通し柱と何ら変わりはありません。

さて、こんなとき、皆さんはどう考えるでしょうかP同じように見えて、構造的にも問題はない……しかも安いとなれば、これほどいいことはないと判断されるでしょうか。

その時、私は通し柱でなければならないと答えました。

それは、どうしてだったのでしょうか。

今振り返ってみると、管柱としてこの柱を継いだなら、この柱の存在理由の半分以上が失われると感じたからだったと思います。

視覚的に同じならば経済的で楽なほうを選ぶという判断は、現在のわが国の住宅事情を支えている精神をよく表わしています。

建築家・河成鎮次郎

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〈河成鎮次郎事務所〉の家づくりシステム

真のローコスト化は人材が決定するローコスト化の問題は、流通システムの改善だけでは解決できません。

あくまでも、生活者をも含めた人的資源、人材の問題が大きな比重を占めています。

もし、ハードな流通の合理化のみで、人材に恵まれなかったならば、総工事費にしめるコストダウンの比率は、せいぜい十パーセントが限界ではないかと思います。

すなわち、コストダウンという観点のみから見ても、物のシステム改善だけでは大きな期待はできないということです。

建築費は大きく分けて、材料代と手間と利益を含んだところの諸経費のトータルで表わされるのですが、この手間の問題はあくまで人材の問題であって、ハードなシステムの合理化で簡単に片づく問題ではありません。

人的資源、人材に恵まれなければ、熱気も協力も工夫・向上も生まれませんし、ある理念・理想の共感のもとにエネルギーが集中されない限り、本当のコストダウンにはつながっていかないのです。

私は、質の点で寄与できないローコスト化はほとんど無意味であると考えていますし、そういう意味でも、人材の問題はこの真のローコスト化という課題と深くかかわっているのです。

ここで、わかりやすい事例をあげて説明しましょう。

私たちは、木造の骨組架構に金物を一切使わないという方針で臨んでいます。

公庫基準等の問題があって使用せざるをえないケースもありますが、それでも基本的には金物を全部除いても大丈夫なように骨組をつくり上げています。

河成鎮次郎事務所

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〈河成鎮次郎事務所〉の家づくりシステム

本当のローコスト化とは、どういうことなのか、生協の産直も、秋田杉の現地加工も結構、コーポラティブ運動も、林野庁の国産材ハウスも、また百年住宅も結構ですが、結局、文化の香りのしない住宅をいかに安く、いかにしっかりつくったとて、どれ程の意味がありましょう。

人材なしのローコスト化は無意味であると主張するのも、日本の住文化を引き上げていくことに寄与できないローコスト化は、結局は一場の泡のようなものだと思うからです。

真のローコスト化は、ひとえに人材によっている、人材の育成なしには果たしえないことだということを、重ねて強調したいと思うのです。

ローコスト化へのさまざまな動きを見ていると、片手落ちのローコスト化1おまけに片目、片足まで落ちているようなローコスト化が目立ちます。

私は、日本の現状の中で〈河成鎮次郎事務所〉にこれだけの人材が集まったことを誇りに思っています。

勿論、完壁ではありませんし、まだ問題も山積していますが、この貴重な人材を核にして、さらに運動の輪の拡大と人材の育成に取り組んでいきたいと思っています。

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